禿同でございます。 pic.twitter.com/31DTviUSNU
— あいえす is (@heisenberg1934) 2015, 6月 2
このツイートを見て考えた。相場における格言として、多数派に付和雷同してはいけないとか、コントラリアン(天邪鬼)になれ、とかいうようなものがよく見られるがその理論的論拠について。
まず極限まで簡単な思考実験。コイントスに賭ける市場を考えよう。表裏が出る確率は正確に1/2。超能力もイカサマもなし。単純に外した側の金を当てた側が取る。表裏どちらに賭けるべきか?
「賭けている人が少ない側」だ。それ以外の答えはありえない。少数派というだけで有利なのだ。
多少条件が複雑になっていっても本質は変わらない。確率が不平等だったりリスクリワード比が異なっていたとしても、それに応じて参加者が行動を変えるはずなので、それを加味した上で常に「少なすぎる側」に賭けることが有利だ。
もうひとつ重要な要素は、相場での多数は線形にしか効かないということだろう。100株の買い(または売り)が2人いても、合わせて200株でしかない。当然のように聞こえるが、他の人間の活動の大半においては、そのような数字通りにはなっていない。
たとえば1対2の殴り合いのケンカなら、多数派の有利さは2倍どころではない。少数派は普通はまず勝てない。人間の多数派に属したがる本能は、このような場合を基準にできているはずだ。
従って、市場では、本能的に心地よい程度に付和雷同していると、我慢して冷静に計算して少数派に属そうと心がけるコントラリアンに、必ず負けることになる。
もちろんこれは統計的・長期的・大局的な話で、絶対ではない。美人投票・正のフィードバック・単なるブレによって成り立たない場合もあるだろう。
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