熟達した投資家は全員サイコパスである、という言説は、熟達もしてないし投資家かどうかも怪しいし投資家友達もいない私には本当かどうかさっぱりわからないけど妙な説得力がある。
— burabura (@burabura_117) 2019年7月20日
経済的(≒投資的)に合理的な行動は、標準的な人間心理から自然に導かれる行動とは、一般に一致しない。これはそもそも行動経済学なる分野が生まれた理由である。
そして、定義からしてサイコパスは標準的な心理の人間ではないから、熟達した投資家が全員サイコパスであるというより、標準的な心理の人間がそのまま熟達した投資家になることはありえない、という方が正確に思える。
「サイコパスは経済的に合理的である」としばしば言われるけれども、本当にサイコパスが合理的であるなら、サイコパス的な心理が普通であり、普通の人間が病気扱いされていなければおかしいはずだ。
その答えはもちろん、サイコパスは「経済的に合理的」ではあっても、普通の意味では合理的ではない、というものだ。
では、この「経済的」とか「普通」とかいうのは、具体的には何を意味しているのか。
この場合の「普通」とは、「人間心理を形成してきた人類の進化的環境(≒狩猟採集生活をする部族小集団)下」という意味で、「経済的」とは「高度な文明発達以後の都市(≒匿名)文化環境下」という意味だ。
有り体に要点だけ言えば、原始の狩猟採集小集団で、現代の「熟達した投資家」並のゼロサム的収奪を行う人間は、嫉妬や制裁で殺されずには済まないということなのだ。他の虫や動物やサイコパスにはない心理要素が、そうして淘汰された(現在の普通の)人間には備わっている。
しかし、近代以降の都市文明には、人間の進化環境にはあった激しい嫉妬や制裁を免れる、法的・技術的余地が存在するようになった。
普通の人間に付加された、極端な収奪や突出を避ける心理がむしろ存在しない方が、サイコパス的な方が全てに有利な立場がありうる。まさに投資家やCEOがその代表だ。
この経緯から得られる教訓はなんだろうか。私の意見ではふたつある。
「サイコパスが合理的である」という言説は、おそらく意外性を主な理由としてミーム淘汰に勝ち残っているだけであり、あまり正確ではない。
優秀な経営者・投資家になるために必要なのは経済的合理性であり(ほとんどトートロジーだが)、サイコパスであることではない。たとえ結果としてそう見えてもおかしくないケースがあったとしても。
もうひとつ、自分が勝っている投資家だと思う人は、現代的な法制度と匿名環境に守られていなければ、確実に集団リンチにあって殺されるようなことをやっているのだという自覚を持つ必要がある。
もちろん進化的・標準的な人間心理が正しいと言っているのでも、だから投資をやめろと言っているのでもない。しかし、それを自覚しているのと自覚していないのとでは、やること・やらないことが何かしら変わってくるはずである。
コメント
流行を追いかけるような常識的投資家から巻き上げる方が簡単だから誰が獲物だか分かって投資してる、一旦天井を打った仕手株を持ち続けたぼんくらが空売りの餌食になったかどうかは後で分かる場合もある、合理的行動を続ける限り敗者であり続けるのを勝者はよく知っている、側から見たら性格悪いからサイコパスと呼ばれても仕方ないけど、市場ってそういうものだから