フリーライダー問題としての陰謀論

 いわゆる「陰謀論」的思考・行動パターンは、たぶん進化環境、つまり狩猟採集生活をするせいぜい百何十人とかの部族社会でうまく暮らしていくには、すごく適応的だったのではないかと思う。なまじ今日の「科学的」思考をするような人以上に。

 そうした過去には、そもそもニュースも文献もデータも存在しないのだから、そうしたものより仲間の噂話に魅力を感じるのも当然だし、仮に噂話が間違っていても、仲間がみんなそう言っているのなら、逆らっても魔女狩りにあって殺されるだけだ。

 ワクチンによる防疫は言うに及ばず、普通選挙も自由貿易も進化論も、本能的・自然な発想ではない。正常で健康な個人が「普通」に考えたら絶対賢人独裁・征服による収奪・創造論の方が正しいと思うに決まっているのだ。それらは単なる個人や部族集団を越えた社会による教育によってしか為しえない。

 現代文明の標準的な市民の日常生活は、すべてそういった社会への信頼を基盤に成り立っているのだが、問題はそれにフリーライドできる余地が存在することだろう。たとえば化学や生物学をまったく信じない人の家に引かれた水道も、ちゃんと化学や生物学に基づいて処理され、信じない人が腹を壊したりしない。

 選挙は全部見せかけの嘘っぱちで地球は爬虫類型宇宙人が支配していると信じる人にも、選挙で選ばれた行政府の指揮下にある軍隊や警察は牙を剥かない。

 おそらく科学を勉強せずに水道を利用し、邪悪な宇宙人と戦っている正義の戦士という幻想に浸りながら、軍隊や警察に守られた平和な社会で暮らすのは、少なくとも主観的には、個人というかホモサピエンスの一個体として、より幸せであり得る。普通そう言われないが完全なフリーライダー問題だと思う。

 フリーライダー問題であると認識することによって何が変わるかというと、楽で自然な解決策はないということを自覚できるということだろう。強権的な取り締まりか緩やかな教育、二者択一しかないわけではなく、そのスペクトラムの中での解決を求めるしかない。

 あり得る強権の極は、今の現実の局面で言う中国的な解決。一握りの超エリートが「正しい」選択をし、それ以外の人間は考える権利を持たない代わりに考える義務からも解放される、つまり「支配されるという特権」を与えられる。言うまでもなく当面民主主義国ではこの方針は取れない。

 ならば実際上は、教育による社会への信頼をどう取り戻すかという話に集約されるのだが、そもそも取り戻すも何も「社会を信頼しよう」あるいはしろ、という真剣なメッセージを誰かから受け取ったことがあるだろうか。私はないように思う。

 前述のように日々社会の恩恵に浸りきっているはずなのに、たとえ誰からであれ、やってくるのは「社会(≒権威・常識・あるいは理性)を疑え」「自分の頭で考えろ」というメッセージばっかり……とは言わぬまでも圧倒的にそっちに偏っているように思われる。

 その状況を生みうる消極的な条件は、やはりフリーライドしうる土壌があるということ。社会の恩恵からは(犯罪等のあからさまでなく)少々維持に参加しない程度の裏切りでは排除されない。どころか大抵の場合簡単な自己欺瞞によって裏切りであるという自覚すら得ずに済んでしまう。

 そして裏切る積極的な利得・インセンティブは何なのかというと、私はやはりシグナリングだと踏んでいる。一例を挙げれば市民の自由を保証している民主主義国で自国の国旗を焼く行為は事実上まったくリスクがないにも関わらずなんとなく精神的・肉体的にタフに見える。

 一般化すると、ジョナサン・ハイトのいう道徳の、この表で言うところの前半三軸に対する裏切り(盗み・暴力)は結果が見えやすく、即時のかなり厳しい処罰によって抑制されているのに対して、後半三軸に対する裏切りは結果がすぐ見えずほとんど処罰もされないということだ。

 もうちょっと具体的に言うと、警察を廃止しろと叫んだり、学問的コンセンサスを無視した説を宣伝したり、反ワクチン活動したり感染パーティーを開いたりすることは、明らかに盗み・詐欺・暴力ほどのあからさまな反発も、具体的な処罰も受けない状態にあることは間違いない。

 後半三軸を軽視する立場はいわゆるリベラルなので、要するに世界全体のリベラル化の副作用・贅沢病であると言ってもいいと思う。結局いつもの、富裕なリベラルインテリが徳シグナリングにうつつを抜かし他の人間と「分断」されてる問題にもやや近い。ただこの社会軽視は「分断」の両方で起きている。

 左派は民族・宗教・国家という側面では権威軽視だが、右派も学問・知性・教養という側面ではやはり勝るとも劣らず権威軽視してる。

 富裕なインテリの内輪だけの徳シグナリング的なものに堕さない、かと言ってソビエト的独裁にイスラム国的神権政治に逆戻りするわけでもない、古くて新しい知的・精神的・社会的権威が必要なのだと思う。いま見えているものの中で私がそれに一番近いと思うのはピンカー的新啓蒙主義だ。

コメント

タイトルとURLをコピーしました