NTR趣味は進化心理学的に説明がつくか?

 せおどあ みっきー(@happy_theory)氏の

 進化心理学的にいうとNTR(趣味)って説明付くんですかね?

 という疑問を見て考えたこと。

 まず、いつか取り上げたデネットの議論で言えば、人間は代表的かつ唯一のグレゴリー型生物である。

 現実的・反現実的な脳内シミュレーションによって、ポパー的な仮説検証と棄却を常に行って適応度を高めるのみならず、さらにその仮説やシミュレーションを、主に言語、噂話や物語の形で、他人から直接取り込むこともする。

 進化環境では現代的な意味のコンテンツなど存在しなかったので、たとえばNTR話を聞いたら、それは脚色はあったとしても、近くにいる人が近い過去に実際に遭遇したか話に聞いた、実際に起こった事件である。

 それは同時に、自分の将来にも起こりえて、起こった場合、自分の適応度≒生き残って子孫を残すことの成否を、大きく左右しうる事件のヒントであるということを意味する。

 現実のゴシップや架空のドラマをことのほか愛するという人間の(一見無駄にも見える)ヒューマンユニバーサルな性質は、このような社会的シミュレーションに長けた人間が、現実にも上手く振る舞ってダーウィン的に成功してきた結果としか考えられない。

 そして進化環境で形成された本能は急には変わらないので、現代文明の環境には、しばしばミスマッチが生じる。

 典型的なのはいわゆるチーズケーキのたとえである。脂肪分や糖分をとにかく好むという本能は、それが滅多に手に入らなかった進化環境ではほぼ常に正しい(≒適応度を高める)結果をもたらすものだった。

 しかし、進化環境にはそもそも存在しなかった超正常刺激、たとえばチーズケーキのようなものが、現代のように安く豊富に売られていると、取り過ぎて太ったりかえって病気になったりするという、進化が意図しえなかった副作用をもたらしうる。

 NTRのコンテンツ等は、この社会的シミュレーションを求める人間の本能に対する超正常刺激≒「チーズケーキ」であると考えられることまでは間違いないと思われる。

 ただし、ここまではNTRでなくとも、普通の(?)恋愛・殺人・戦争・政治に関するどんなコンテンツ、コミック・映画・テレビドラマでも同じことである。

 NTRが他のジャンルと違うところを考えるならば、社会的・性的パートナーは進化環境はもちろん、現代社会ですら少しも変わらず、なかなか得がたい、決定的に重要なリソースのひとつである。

 寝取る方・寝取られる方のどちらに感情移入するにしても、非常にクリティカルで恐ろしい事態の描写であることは間違いないと言えそうだ。

 しかし、だからといって「なんでNTRなんて好む人がいるの?」というのは、スプラッタホラー映画が好きな人に対して「なんで怪物に惨殺されるのが好きなの?」と言うのに近いおかしさがあると思われる。

 限りなく100%に近いスプラッタホラー映画ファンが、スプラッタホラー映画を好きなのは、まさに見ても惨殺されたりしないからだ。

 あるいはSM趣味のMの人に「他人にいいようにされて痛い思いするのの何がいいの?」と言うような。これも明らかに、本当に他人にいいようにされて痛い思いをしている(だけという)わけではないからだろう。

 ジェットコースターよろしく、本当は安全に制御された状態でスリルを体験するのが好きなのは、シミュレーション説の正否にかかわらず普通のことであり、NTR趣味だけを特別それらから区別して考える理由はないように思われる。

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