躁をどうでもいいことにぶつける技術

 投資による躁鬱では、鬱ももちろん嫌だが、本当に怖いのは躁の方だ。鬱で破産することは普通ないだろうが、躁で破産はありうるからだ。

 浮き沈みによる躁鬱を完全に消すことはできないし、特に躁の方は「儲けない」という訳にはいかないから、自分の躁を自覚して、それをなるべくどうでもいい(≒失敗しても致命的でない)投資やその他の行為にぶち当てるように誘導することが大事になる。

 問題は躁を自覚するのはとても難しい、というかほとんど不可能だということだ。判断基準そのものが歪むのが「症状」なのだから。

 「自分は統合失調症です」と言って自ら病院に行く患者がまずいないように、「うおおおオレ今めっちゃ躁w ありえんだろその考え!」とリアルタイムに感じることはまずありえないのだ。

(ちなみに今回の文脈で言う「躁鬱」は、病気のことではなく「それが極端に暴走したとき躁鬱病・双極性障害と呼ばれるような、誰でも持っている正常なメンタル機構」を省略して言っているだけである。)

 それでは具体的にどうすればいいのかだが、大儲け・大損の後ではしばらく冷却期間を置く、というようなルールを、客観的な数値基準で設け、他人にも監視してもらえればベストだと思う。

 が、普通はそこまで無理だろう。次善の策としては、不完全ではあっても、あらかじめ「自分自身にそういうことが起こりうる」という自覚を持っておくだけでも、大分ましになるとは思う。

 自分の場合、感情の浮き沈みはどちらかというと小さい方だと思うが、ある程度のまとまった儲けの後は、必ずそれなりの躁状態には陥っているように思われる。

 初期アベノミクスの時は、理屈は自覚していなかったが、意図せずして回避できていた。躁のエネルギーは勉強やプログラミングに向かっていた。

 後から考えると明らかに無駄だったり、車輪の再発明だったり、とにかく普通の時なら絶対やらないようなことをいくつかやったが、特に困ることはなかった。

 ミクシィの後は、流石に当時の基準で大儲け過ぎたので自覚的にならざるを得ず、自宅を買って金銭・時間双方で分散をした。

 それでも消しきれない分の躁で、投資でも比較的大きなミスをしたが、当時は相場が優しかったので少し耐えたら許された。地合次第では、致命的とは言わずとも、結構やばかったかもしれない。

 インソースの時は絶対額ではそこそこ大きかったが、もっと取れたはずだという悔しさが上回り、後から振り返っても、あまり躁だった記憶はない。

 直近の極秘銘柄の後は、理屈をほぼ完全に自覚していたので、失敗はしたが「ああやっぱりこれ躁の生け贄枠だったね、ありがとう」みたいな感じのポジが結果的にひとつかふたつあっただけで、被害は少額で済んだ。

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