株口座のお金をお金と考えない投資家的二重思考

 投資口座のお金はお金と考えず、ポーカーのチップとかゲームの点数だと考えるようにすべきだ。

 ……というようなことは、よく言われることではあるのですが、このツイートをきっかけに一度まとめたいと思います。

 普通の個人投資家が種銭を貯めるには節約が必須です。そして、当然その種銭を投資することが必要で、投資すれば大きく儲かったり損したりすることが必至です。

 どれも当たり前ですね。何の努力もせずにリスクもなく100%儲かる、という幻想を抱いている大馬鹿者でない限り、この過程全体が目的なのですから。

 すると、その過程で、何年も勤倹貯蓄に励んでいる一方、相場の方で月収の数倍あるいは年収にも匹敵する額を、1日で儲けるまたは損する、というシチュエーションが必然的に生じます。たまたま超天才で大成功していても絶対に避けられません。それが目的なんですから。

 しかし、ここで問題が生じます。2つの世界の数字に落差がありすぎて、金銭感覚に齟齬が生じてくるわけです。

 日常の金銭感覚が相場の数字に引きずられてしまうと、勤倹貯蓄に意味が感じられなくなってしまい、本業に身が入らなくなったり、浪費したり、普通の消費に喜びを感じられなくなったりするでしょう。

 相場での金銭感覚が日常の数字にアンカリングされてしまうと、最初の2chの画像にある「頑張って働いて貯めた500万円みたいな思考」になり、適量のポジションを取れなくなったり、損切りが遅れたり早すぎたり、実力に見合ったパフォーマンスはあげられなくなるでしょう。

 そこで、勤倹貯蓄と投資相場の双方でベストパフォーマンスを維持しようとすると、株式口座のお金をお金と考えないようにする、という発想が出てきます。

 相場で大きく儲かって株式口座の額が増えても、それは本物のお金ではない。あくまで架空の利益・ただの数字、将来(数十年先かも)の損失と相殺して残って最終的に出金・消費できて初めて意味のあるもの。

 逆に大きく損しても、それは本当にお金がなくなったわけではない。大きな利益を求めるためには当然よくあること。あくまで必要経費。一時的にチップが減っただけでゲームの最後に勝っていればそれでよい。

(優位性のない投資をしているのにそう思い続けていたら、いつか退場してしまうので、損の方は難しいところですが。)

 お金であってお金ではない。たとえ画面のクリック数回とATM1回で、1円も違わず相互変換可能であると知っていたとしても。絶対に同じではない。同じであって同じではない。『1984年』も真っ青の投資家的二重思考(ダブルシンク)です。

 これで、日常生活では「1円を笑う者は1円に泣く」と勤倹貯蓄に励む一方、投資で百万円単位で吹っ飛んでも全く気にしないという、一見矛盾しまくりの清く正しい個人投資家生活が可能になるわけです。

 家を買った時に言及したmagic氏の記事を再び紹介しますが、おそらく「無意味な心理会計だなあ」という感想がありうると思います。自分も初出時の感想はそれに近かったような憶えがありますが、今はいくらか似た実感があります。少なくとも無意味とは思いません。

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