ポリコレ保存則

 「ポリコレ保存則」あるいは「ポリコレ総量保存則」と呼ぶべきものが存在するように思う。

 もちろん物理学の保存則にちなんだ命名であるが、厳密に成り立つ法則ではなく、現在起きているいくつかの現象を説明する枠組みのたとえである。

 必要とする主な前提は二つだけである。

  1. 政治的な正しさはもっぱら後天的に学習される
  2. 社会的教化に使える時間は決定的に限られている

 健康なホモサピエンスは、その社会のルールを後天的に学習することができる脳を備えて生まれてくるが、具体的にどんなルールが正しいかは遺伝子には全く書き込まれていない。すべては後天的に学習する。

 そして学習に使える時間は短い。とりあえず成人しか考えないとしても、たったの18年しかない。しかも、その他のありとあらゆることすべてを学習しながらである。

 この二つの前提から即座に結論されることは、社会に存在する(少なくとも実効性を持つ)ポリコレの総量は、まったく変わらないわけではないにしても、常にほぼ一定になるということである。

 するとこの自明な結論からそれほど自明でない推論が出てくる。一世代前にはほぼ存在しなかった、LBGT・ペド関連、セクハラパワハラ飲酒運転禁煙、その他諸々のポリコレが大量に存在し、実際に社会的に威力を発揮しているのだから、他の何かがその分大量に消えているはずなのだ。

 一旦この視点を得ると、その表れとしか思えない事例はいくらでも思い当たる。

 例えばネットでのあからさまな障害者差別や基本的人権の無視は、一昔前に比べて大幅に増えているように見える。私が子供の頃に(ネットがあったとして)このような状態が許されたとは信じがたい。

 社会あるいは人間全体が差別的あるいは残酷になったとは必ずしも思えないので、一見謎であるが、このポリコレ保存則の考えに基づくならば不思議ではない。単に新興のポリコレが増えた分、従来からあるポリコレは減らざるを得ないのだ。

 他にもいくつか例を挙げよう。例えばカニバリズム。漫画の世界では『アシュラ』の時点では社会問題だったものが、今だとむしろ「ネタに困ったらとりあえず人食わせとけば何のポリコレにも触れないだろう」ぐらいの扱いになっている。

 「AIで顔写真から自閉症を判別してみた」という記事が出て一日足らずで消えた話。

 核タブー意識の後退などもそうではないか? 私が子供の頃は学校で『はだしのゲン』のアニメを見せられるとか、必ずあった気がするが、今小学生の私の子供に同じことがなされているとは思えない。それが現代日本にとっていいことかどうかはひとまず置いて。

 格差問題だってそうではないだろうか? 技術によって飛び抜けた人間の価値が云々というよくある議論はもちろん正しいのだろうが、もっと単純に、金持ちが自慢し貧乏人を蔑むのが良くないという普通(?)のポリコレが、新興の他のポリコレに押しのけられた結果なのではないのか?

 この話からどのような教訓を引き出すべきであろうか。私が今言えそうなのは、政治的な正しさは単に増やせばいいというものではなく(「単に増やす」ことはおそらく不可能)、何かが増えれば何かが減らなければならないのであるから、単に命題として正しいかだけでなく、費用対効果のようなものを考えに入れることが必要だろうということである。

 もうちょっと現代の文脈に即して具体的に言えば、提唱者の徳シグナリングだけが目的となってしまっているようなものを慎重に見分けて、掣肘することが重要であろうということである。

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