『自由の命運  国家、社会、そして狭い回廊』★★★★

 ダロン・アセモグル著、ジェイムズ・A・ロビンソン著。非常に面白かった。以下私の理解による大雑把な要約。

 ホッブズのリヴァイアサンの議論は概ね正しく、その意義も明白であるものの、その対極として想定されている自然状態「万人の万人に対する闘争」は、実際には存在しない。

 有史以前から、ホモサピエンスは必ず親類関係をベースとした部族(クラン)を形成するからだ。リヴァイアサンに対置されるべきは、本能・準本能に基づくクラン同士の闘争及びクラン内部の抑圧だ。

 クラン内部では、平等主義的本能による抑圧、嫉妬・制裁・暗殺等により、上位者も下位者も資本の蓄積が不可能。本能・準本能で扱える血縁・疑似家族関係を越えた軍事・経済活動には、文字と専業政治家・官僚による国家(リヴァイアサン)が不可欠。

 しかし、そうした国家指導者には国民を収奪するインセンティブがあるから今度は国家による独裁・抑圧・収奪が問題になる。

 一個人が国家に対抗は物理的に無理なので、実際は何らかの中間組織が国家を牽制する力が鍵になる。これがなさすぎると独裁国家になり、ありすぎると宗教や民族ごとのクランが互いに牽制し合い、その内部はこれまで通りの抑圧状態という骨抜き国家になってしまう。

 成功した民主主義国家にできるかどうかは、下部社会がそれぞれ分裂して対立したりせずに、リヴァイアサン国家を牽制するのに弱すぎもせず、成員を抑圧するのに強すぎもしない、ちょうど良い力を、国家の力の増大に合わせて増していけるかにかかっている。

 それがうまく行くかどうかは、本能的伝統的クランの解体再構成の歴史に強く依存する。

 部族・民族・宗教・ギルド・身分制・奴隷制といった伝統的・本能寄りの下部制度の解体と、国民意識・平等意識・企業・労働組合・選挙・裁判・陪審・公務員といった近代的・非直感的な下部制度の確立。

 双方が、国家の力とバランスを取りながら進む必要があり、どちらかに崩れると途中からでも抑圧国家や骨抜き国家に落ち込みうる。宗教・人種などの非妥協的分断があるとそれは困難になる。

 格差、つまりエリートと庶民との差が開きすぎると、国家制度が信頼されなくなり、うまくやっているあいつらエリートを押さえてくれる(と思わせる)独裁者に権力を与えた方がましだ、と庶民が思うようになってしまう。しかし通常独裁者と取り巻きが次のエリートになり状況はかえって悪くなる。

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