Twitterで「なんでみんな、つまらないことにいつも怒ってるんだ?」みたいなことを言っている人を見て思ったこと。(その人個人に何か言いたいわけではないのであえて特定はしない。)
SNSで怒りが煽られていることについては、すでにいろいろと言われているので、あまりに一般論的なことは今回は言わないが、冒頭の疑問に対する答えは簡単である。イーロン・マスクがそうなるようにアルゴリズムを組んでいるからである。そのほうが儲かるからである。それ以上の答えはないのである。
本当にイーロン・マスクあるいはX社が、みんなの怒りを煽らないようにしようと思えば、できないわけがない。ポルノやグロに対してできている規制のとてつもない強力さを考えてみればわかることだろう。
そもそも現代のSNSに表示されるものは、そのアカウントのユーザーが発している意見とは言えない。
昔の映画やドラマでたまにあったような、週刊誌の文字を切り抜いて貼り付けて作った脅迫状を思い浮かべてみよう。週刊誌のライターが、脅迫の疑いで逮捕されるべきだろうか? もちろん否。脅迫の意志を持っているのは切り抜きを行った犯人である。当たり前だ。
次に、自分でブログを立てて、そこに記事を書いた場合、その記事に載っているのは書いた人の意見だろうか? もちろんそうだ。これも当然だ。
では、大新聞の投書欄に載っている投書の意見は、投書者の意見だろうか? これは議論の余地がある。大新聞には、普通の意見から極端な意見、完全に狂った意見まで、ありとあらゆる意見を持った人の投書が寄せられる。編集部はその中から、どんな意見でも選んで載せる(あるいは載せない)ことができる。
したがって、勝手に編集や省略などされていない限り、投書者は確かに、新聞に載ったような意見を持ってはいる。しかし、新聞の投書欄はブログよりは脅迫状の方に近い。それは必ずしも投書者の意見とは言えない。どちらかというと、編集部の意見とみなすべきである。
このたとえ話のような意味では、現代のSNSに表示されるものは、そのSNSのユーザーの意見ではない。SNSの運営会社の意見なのである。中国やロシアなど権威主義国であればその政府の意見、アメリカの企業であれば、少なくとも今の時点では、会社の利益になるような意見である。
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