ジェラルド・M・ローブ『投資を生き抜くための戦い』3 理想的な投資は存在するか?

3 理想的な投資は存在するか?

 完全な投資対象が理論上のものにすぎないのは、想像に難くない。安全なものなどないのだ。人生のどの分野をとっても、確実なものは存在しない。ことに、現存する「投下資本」の利息を複利で払い、利益をピラミッディングできるほど世界の富の成長は早くない。ことあるごとに、破産や債務の軽減や、通貨価値の下落などで調整がなされる。いずれも、たいへん古くから行われていることだ。

 100%安全で儲かる投資が存在しないのは、永久機関が存在しないのと同じく、普遍的な原則だということ。

 長い年月、潮は寄せては返してきた。インフレで債務者層が有利になりすぎると、通常「生活費の高騰」への不満に隠された「デフレーション」への呼び声が、何らかの措置がとられるまで高まり続ける。そして債権者が優位に立つと、低すぎる物価や通貨の不足へのいら立ちとともに、「インフレーション」の気運が世論を占めるようになる。このため、大衆が「安全な投資」に出資するとき、本当は何を買ったつもりでいるのかを少しでも明確にするためには、「思惑(スペキュレート)を働かせる」必要があるのだ。
 私の言う思惑とは、言ってみれば潮の流れを読むことである。初歩的なことでは、デフレのサイクルの間は、固定金利と元利金(一種の政府の支払い保証である「現金」を含む)を保持し、インフレのサイクルの間には、いろいろな形の株式を保有することによって、購買力の維持に努めることだ。

 太線強調は元からあるもの。インフレとデフレのサイクルは初歩的かつ基本的なものとはいえ、周期が長すぎて経験から学ぶのは無理です。自分に投資が可能な期間だと、まだデフレからインフレへの移行が1回(それもまだ道なかば以下)あっただけです。

 投資にしろ投機にしろ、資本の運用を何と呼ぼうと、大多数は成功しないのだと初めから認めてしまうことが大切だ。そもそも自分に回ってきた富、さらにいえば幸福さえも、ほとんどの人はつなぎ止めておくことはできないのである。資本をうまく保つには、現代人に受けのよい社会主義的な政府が、大衆を救うためと称して課す多くのハンディキャップも乗り越えなくてはならない。

 「社会主義的な政府」というのは、今で言えば、より高福祉・高税率の「大きな政府」と考えれば、現在でもほぼそのまま通用するでしょうね。

 万人が追い求める投資方針はおのずと破綻する。したがって、資本を本気で確保し保持しようとするならば、とるべき第一歩は、「群から離れる」ことだ。

 ここ重要。投資が他の活動と根本的に違う点のひとつは、(長期的・平均的には)「多数派が結果的に正しかった」ということは絶対にないということです。「群から離れる」のは多くの活動では最後の一歩ですが、投資では最初の一歩なのです。

 必要なのは、個人主義的に考える姿勢だ。自分の利益を守るには、何がベストかを考えなくてはならない。いつの世も、成功しているごく少数の人に対して、大衆は一人当たり平均ではほとんど何も持たないに等しい。彼らはいつでも、自分の利益になると信じて、少数派から財産をもぎ取ろうとしているのだ。どれほどの額が、大した抵抗もなく着服できるものか見ものである。やがて勤勉節約も使い古され、彼らは想像上の「反社会的」方法に保護を求めるようになる。

 個人投資家がテレビに出たりすると「一般人の嫉妬を煽る効果しかないからやめて」みたいな感想をTLで見ることがありますね。個別の話にどうこうは言いませんが、歴史を考えると、無視してよいことでもないと思います。

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