ジェラルド・M・ローブ『投資を生き抜くための戦い』15 株価変動、その他相場の動きの材料

15 株価変動、その他相場の動きの材料

 全体的なマーケットトレンド、とりわけ買い付けのために選ばれた個々の株式についてバランスのとれた意見を形作る材料といえば、私は断然、実際の株価変動を第一に挙げる。その理由は、過大評価だろうと過小評価だろうと、買いを決断する材料は株価だからだ。
(中略)
 理屈の上で価値のあるものだけでなく、投資家が値打ちありとみなしたものも十分考慮しなくてはならない。

 ちょっと前にも同様の趣旨の部分はありましたが、ファンダメンタルズに基づく理論上のバリューではなく、需給とかマインドとかそういうものが作るトレンドに(も)乗って儲ける、というのは自分も意識したいところ。

 関わりのあるすべての要素は、重要だろうとなかろうと相場に影響を及ぼす。加えてほとんどの状況で、相場の動き自体が買いや売りを刺激しており、その関係はかなりの正確さで、事前に予測できるほど一貫している。このような株価と出来高の変動は、分析や事前の情報をもとにしたマーケットの予測に確信をもたらすだけでなく(またはその逆)、なじみのない銘柄に要チェックの注意を促すという貴重なヒントももたらす。

 変動自体が次の変動をもたらすというフィードバックループは、未来の株価が予言できない理由のひとつ。株価変動自体が気づきのヒントになる、という視点も、繰り返しですが重要かと。

 相場の動きに影響される証券の売り手や買い手は、3種類に分類できる。
 まず一般投資家だ。この人たちは株価と出来高の大幅な変動によって、しばしば大規模な一斉買いや売りへと駆り立てられる。(中略)自分より前の売り手や買い手の行動に誘われて続々と市場へなだれこみ、自ら変動に加担したのである。最初にどれほどの利益があったにせよ、このタイプのトレーダーや投資家が、長期的には損失以外の何を得たのか疑わしい。
 2番目は、熟練したチャーチストまたはテープリーダーである。彼らは独自のスタイルを持ち、チャート上の線やティッカーテープのシンボルに見えるもののみを頼りにする。もし彼らが本当に市場の動きに基づく理論だけで結論を導き出しているとすれば、私の予想ではやはり長期的には損をすると思う。というのも、このような判断材料だけで儲け続けられるエキスパートは多くはないからだ。
 成功するタイプは3番目の、高度に専門的な解釈をこなす本物のエキスパートである。この人々はあらゆる要素に対する相場の動きをどれだけ考慮するベきかを知り、すべての要素を反映した値動きから、有利な売り買いはもちろんのこと、未熟さ、無分別、または軽卒さから交わされた約定まで察してしまう。彼は相場の動きが「強気」か「弱気」かが分かるだけでなく、その兆候の裏にある原因と力に考えをめぐらせ、それが正しいかどうかまで探ろうとする。テープに反映されると、良し悪しが分からずに杓子定規な解釈で相場の動きに執着する人々を惑わせてしまう約定がかなりあり、それらを並べると相当な時間がかかる。

 2番目と3番目の区別が一見はっきりしないのですが、完全にテクニカルしか見てない人と、それに加えてファンダメンタルズや行動経済学その他の知識も持っていて二次思考をする人、という意味合いなのかと。

 相場の動きは常に、株式の最終評価を決めるさまざまな材料から最大の影響を受けているといえる。ただし、値動きの解釈に慣れていなかったり、統計や経済指標、テクニカルな条件、スポンサー、あまり重視されていない会社の発展といった材料を疎かにしたことから、誤った結論を引き出してしまう可能性もあることを知っておくベきだ。

 ここでいうスポンサー(sponsor)は、広告主ではなく出資者のことか。

 相場の兆候を検討するうえで最も重要な点は、タイミングである。際立った強さや弱さは、相場のサイクルの異なる時期にまったく逆の意味を持つことがある。例えば、ある銘柄の強さと出来高は、全体相場の長い下落のあとに起きた場合、たいがい非常に強気の兆候になる。のちにその株の優位性にほかの主力株が追いついてきた場合は、マーケット全体の変わり目を示すシグナルになっていたはずだ。
 一方、株価の上昇が強気市場を通じて無視されていた銘柄にまで及んだあとは、出遅れた上昇機運は長続きしないばかりでなく、全体の回復期の終わりを告げるものかもしれない。特に、初期の主力株がもはや反応しなくなっていたら、その可能性が高い。動きの判断は、既報、未報のニュースにも照らすべきである。ほかでは弱さと考えられているものが、あるニュースによれば強さを示唆していたり、その逆のこともあるからだ。
 例えば、わずかな下落で起こる大きな出来高は、通常ならマーケットを大混乱に陥れるような悪い二ュースのあとならば、非常に強気のシグナルになる。逆に、たいへん刺激的なニュースにもかかわらず単に安定しているだけのマーケットは、重大な弱気の合図かもしれない。
 個々の株価は、株式市場全体の動きと連動して判断されるベきだ。先に触れたようにタイミングが有利なら、アヤ押しでわずかな下落を見せた株か、出直りで最も強く反発した株に、最大限の注意を向けるベきだ。ごく普通に強さや弱さを見せているだけの株には、特別な意味はない。

 「個々の株価は、株式市場全体の動きと連動して判断されるベきだ。」というのが要点か。個々の投資家の優位性は市場平均からの差分で考えないと意味がないのと同様に、個別株の強さも市場の状態(市況?)からの差分で考えないと意味がないということですかね。

 一般投資家がより多く参加すればするほど、結果はより正確になる傾向がある。大衆の見せる反応を正しく予測することは、熟練した観察者にとっては容易なことだろう。しかし、おそらく少数の個人やグループに独占されたプロのマーケットでは、相場の動きをありきたりに解釈したのでは、有利な結論は得られない。
 ここでも、値動きに関連するほかのことと同様、特に機敏な人間なら着実に儲けることは可能である。マーケットの特徴に照らし、参加者の少ない相場の大部分は失敗するだろうと抜け目なく見抜いて、通常の手順とは逆、すなわち強気の兆候で売りに出るか、またはその反対を行うのである。

 この部分、原文を元に少し表現を修正していますが、それでもわかりにくいです。参加者がまばらな相場(「市場」ではなく、「大相場」とか言うときの、「動き」の意味の「相場」)は、統計的に考えれば通常の理屈通りに行かないことが多い、ということかと思われます。

 そのときたまたま注目されている相場の動きに関する説――注目されていたレジスタンスポイントの突破など――の裏づけは、一時的に誤解を招きやすい。その方面のエキスパートは、このような状況には興味を示さない。ずっと以前からはるかに有利なレベルで、こんな試練の起きる兆候を察しており、かなり確かな確率でそれが成功するかどうかも分かっているからだ。このような兆候に従う気があるなら、たとえ余分な経費がかかっても第二の裏づけが得られるまで待つほうが得策だ。
 すべてのテクニカルなマーケット予測は同じ理論のもとに行われる。違いは主に、現状を正確に把握しようとするのに使われる方法である。弱めの買いや売りの兆候を図るには、鋭い洞察力が必要だということも知るベきだ。

 エキスパートは、抵抗線を試したり突破したりするのが、かなり前からわかるって、ほんまでっか?

 「大衆」の購買力は、いったん暴走が始まってしまうとほとんど予測不可能になる。彼らが結果的には大きな犠牲を払うだろうという事実は、トレンドに逆行する損を減らしはしないし、トレンドに乗れば得られるはずの利益を埋め合わせもしない。

 ここもちょっと不自然でわかりにくいと思った部分があるので、原文にあたった上で、少し表現を修正してあります。

 理論家は、ある時期のある条件ではいくら払うべきか、という個人差の大きな意見をもとに「株が高すぎる」とか「安すぎる」と主張する。しかし本当の株価は、そのときの多数派の評価が基準になっている。大衆の財布が豊かなら、とりあえず彼らの評価が優先する。もし理論家に、理論上の水準の見積りのもとで提示された株をすべて買う十分な資金があり、また同じように大量の株を売ることができるとしたら、彼らは市場価格を確立できることになるが、彼らは実際には、人々に影響を及ぼすほどの材料になることはない。

 理論家はお金持ってない、と……。(めもめも)

 要は、1932年に株価が安すぎたとか、1929年には高すぎたとか言うのは見当違いだということだ。どちらのケースも、その時点ではそれだけの価値があったのだ――それ以上でも、それ以下でもなく。実際的な見方をすれば、投資の成功に不可欠なのは、見当違いな考え方を捨て、株式を売り買いする人々の願望と能力またはその欠如に対し、ふさわしい時価評価を与えることである。

 1929年と1932年は大恐慌の前後という意味。「人々の願望と能力またはその欠如に対し、ふさわしい時価評価を与える」って、二次思考そのものですよねえ。

 読者は、利益を獲得する方程式よりもマーケットで間違いを避ける話ばかり載せていると思うかもしれない。しかし、株式投資をたやすく気軽にできるものと捉えるのではなく、最も不確実な科学なのだと気づいてほしいのだ。株価の形成に心理が大きく作用する点で、これは重要な真理である。
 投資で成功するための私のルールは、困難さの認識に基づいている。私のアドバイスは、薄弱な根拠や、逆にご大層でよく練られ、慎重に検討され、一見決定的だが一辺倒の思考に飛びつくよりも、結論を可能なかぎり多角的にまた複数の見地から試し、その正しさを検討してみることだ。

 「最も不確実な科学」って表現、いいですね。

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