生成AIによる知的作業のレベルへの影響

 九条氏のこのツイを見て連想したのだが、

 以前書いたこの記事に更新が必要ではないかと思う。

 生成AIの登場によって一番大きく変わったのは、従来は人間の脳によってしかできなかった1のレベルの作業が、完全にではないにしろ、機械に可能になったことだろう。作文・プログラミング・議論が、確かにかなりの部分まで可能になっている。

 2のレベルの仕事は、従来もコンピューターあるいはプログラムによってある程度代替することが可能だったが、より一層簡単になっている。家電や電球などを選ぶときにディープリサーチのおかげでだいぶ楽だったという経験が何度もある。

 自分はまだ本格的に使ったことはないが、旅行計画を立てるのにAIが使えたという話も聞く。知らない場所に行くもかなりの部分代替できると思っていいだろう。通常会話はもちろんAIに可能になっている。(有益かどうかは別として。)

 3のレベルの仕事には、相対的にあまり役に立っていないように見える。今後家庭用ロボットなどが現れてくるとまた違うと思うが、少なくとも現在のところ、家事等の単純作業や単なる移動は、特に楽になっていないように見える。

 「読み物・話を聞く」については、PDFや音声ファイルの内容を早くまとめてもらえるという使いかたはあると思うが、それはどちらかというと、前回2に入れていた判断や取捨選択のところだろう。

 このことをどう自分の生活に生かすべきか? まだ未整理であるが、1に当たる作業を自分でやっていたら、AIで代替できるようになっていないか? を考えるとよさそうだ。そしてそれが自分の本業である場合は、真剣にキャリアを考え直すべきかもしれない。自分がまさにそうなのだが。

 2に当たる作業ももっとAIに代替できないか考えるべきだろう。そして、3にかける労力やお金は相対的にアップさせてもいいかもしれない、例えば食洗機を買うとか。

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