AI絵だけが叩かれるのは遺伝子の質の証明だったから

 AIで作った絵に対する風当たりが、AIで書いたプログラムやAIで作った音楽に対するそれより桁違いに強いのはなぜか、という問題は、進化心理学を使わないと説明がつかないと思う。

 自分は元プログラマーで、いまもほぼ毎日AIにコードを書かせている。それをTLで言っても誰も怒らない。というか株クラでも元同業者でも、それをけしからんと言う人を見たことがない。

 ところがAI絵を使ったというだけで炎上したゲームやポスターの例は、この一、二年で何十件も見た。同じAIの出力なのに、なぜ絵だけこうなるのか。

 「絵描きの仕事が奪われるから」という通説がある。それが間違っていると言っているのではない。ただ、プログラマーの仕事も同等以上の速度で奪われているのだから、それだけでは説明にならない。

 私の仮説は、絵は進化的に遺伝子の質のアセスメントとして使われてきたが、プログラミングはそうではないからだというものである。

 絵の起源がどのくらい古いかを考えてみよう。最低でも洞窟壁画は数万年前からある。そして残っていないだけで、体や岩に何かを描く行為自体はおそらくもっと古い。数十万年という単位でも驚かない。100万年以上かもしれない。

 つまり絵のうまさは、目の良さ、手先の器用さ、集中力、記憶力、そして余剰資源を持て余せるほどの余裕を一度に示せる、遺伝的資質の証明書として機能してきたはずである。孔雀の羽と同じ、いわゆるハンディキャップシグナルだ。

 それを見て「こいつは優秀だ」と感じる回路を持っていた個体の方が配偶者選びや同盟相手選びで成功し、その回路が我々の脳に標準装備されている。

 一方でプログラミングは、どんなに甘く見ても100年以下の歴史しかない。進化的な時間尺度ではゼロだ。コードがうまいことを見て遺伝的資質を判定する回路は脳のどこにも存在しないので、それがAIに代替されても本能的な部分は何も反応しない。

 AI絵を見たときに感じる、あの騙された感じ、不快感の正体はここにあると思う。遺伝的質の証明書だと数十万年間信じてきたものが、偽造可能になった。騙されたという実際に自分が損をしたわけでなくても腹が立つ。

 ただ、ひとつ問題は残る。音楽も絵と同じぐらい古い。ならばAI音楽も同じぐらい叩かれてしかるべきなのに、実際にはそこまでではない。

 これは単なる推測だが、答えは絵はまだ見ればわかるが音楽はもうわからないからだと思う。指が六本ある、背景の文字が溶けている、というレベルのわかりやすさはさすがに減ったが、それでもまだ「なんとなくAIっぽい」と感じる絵は多い。

 だがAI音楽はもうストリーミングに紛れ込んでいても、耳ではまず判別できない。偽札が完璧になれば、偽札への怒りは消えるのではなく、そもそも怒る対象が見つからなくなる。

 この推測が正しいなら予測が一つできる。あと数年で絵の方も完全に判別不能になり、絵描きの失業も作曲者やプログラマと同様にもっと広がるだろうが、風当たりはむしろ弱まるだろう。

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