ドミナンスとリバースドミナンスの振り子

 チンパンジー・ボノボ・ゴリラ・ホモサピエンスの共通祖先は、♂が出身群に残り♀が分散する類人猿だったと考えられる。程度の差はあれ、いずれも概ね喧嘩の強い♂が配偶機会を得る。

 ヒトはチンパンジーほど乱婚でもなくゴリラほどハレム独占でもなく、その間ぐらい。基本的にペアボンドを形成し、一夫一婦に近い、ごく緩やかな一夫多妻傾向の類人猿であった。文化人類学的リサーチからも精巣の相対的大きさからの推測でもそうだ。

 ヒトには言語と武器の発達により最初の変化が生じた。どんな筋骨隆々の強♂も、共謀した弱♂たちに寝込みを武器で襲われたらイチコロ。

 この力学により、アルファ♂が腕力で独占できる傾向が弱まり、いわゆるリバースドミナンス(逆支配):成人男子間の平等主義傾向が初めて生じ、これが支配的になった。石器時代ずっとそうで、今もヒトは本能的にはそれが基本のまま。

 次の転機は、農業と文字の誕生。保存・集積できる穀物という財産により、寝ずの番ができる兵隊を維持する首長が生まれ、再び力(ただし今度は筋力ではなく権力)による独占・格差拡大傾向。

 専業の神官や官僚を用いた大規模組織が可能になり、国家や帝国、王や皇帝が生まれる。ただし、これは進化が追いつかないほど最近の話であくまで文化的なもの。

 さらに次の転機は、近代に入って生まれた権力を制限する方法。王や皇帝が強♂の本能:暴力によるドミナンスを文明パワーでブーストしたものとすれば、民主主義は弱♂の本能:協力によるリバースドミナンスを文明パワーでブーストしたものと言える。もちろんこれも文化的なもので、再び平等主義傾向へ振り子が振れた。

 この状態が、現在いわゆる西側資本主義国で現在生きている人間が、小中学校で教わるような、常識的な世界。この平等主義傾向への揺り返し失敗した共産主義との勝負がついた1990年代以降が、議論になりうる現在進行形の出来事だ。

 私の意見では、今進行中なのは、再度の強♂の論理、ドミナンス傾向への揺り戻しだ。そして、その転換を引き起こした要因は、情報技術の発展と女性の政治参加であると思われる。

 情報技術の発展については説明は不要と思う。電気を与えるだけで動くコンピュータは、ユーザーに完全に忠実な奴隷のようなもので、ITは個人の持つもともとの知力の差を増幅する。穀物で雇える兵隊が王と庶民との権力差を増幅したのと同じように。

 女性の政治参加については一見意味不明だろう。それを説明するのがここから先の本論である。

 まず進化心理学の基本として、♀は望みうる最強♂との配偶を望む。これは♂が望みうる最多の♀との配偶を望むのと同じく、究極的には配偶子の大小――生物学的な♀♂の定義そのもの――から直接導かれる論理で、それ以外にはなりようがない。

 あまりにも自明なのでこのベースは文明がどう変わろうが不変であり、文明がそのベースにどのような補正をかけているかが重要。

 一般に♂♀どちらが出身群に残りどちらが分散するかは、種によってまちまちで、実際♂の方が分散する猿は普通だ。だが、おそらく人間に文明が生じてから♂が有利になった。文明による知識や財産は、個体でなく群に属し、引き継がれ、蓄積するものだから。

 したがって、リバースドミナンスによる平等主義は、平等といってもあくまで♂個体間の平等であって、♀は政治的に弱く、差別され、制度は♂の都合だけで決まっていた。

 ♂の都合とは具体的には何か? 平等主義により、本来淘汰される弱♂も少しは妻子を持つことが可能で、強♂は本来より少ない妻子しか持てないが、この譲歩により結果的に♂連合が安定し、他の群れとの縄張り争い等で有利になる、というものである。

 この取引に♀の都合は特に反映されていない。むしろ♀の都合は無視され、抑圧されていた。その♀の都合とは具体的には何か? 望みうる限りの強♂と配偶したいという願望、文脈に即してもっと露骨に言えば、弱♂の正妻になるぐらいなら2号3号でもいいから強♂の妻になりたいという都合だ。

 キリスト教など伝統宗教の一夫一婦強制は、石器時代から存在したリバースドミナンスの論理を体系化したものだ。現代では一夫一婦制が当たり前になりすぎて、イスラムは一夫多妻を容認するものに見えるが、それでさえ(より以前からの比較で言えば)一夫多妻傾向を抑制する・制限をかける傾向にあるものだ。

 これら旧来の伝統的・宗教的・性的道徳を古くて頑迷固陋なものとして否定し、男尊女卑も否定して女性にも政治参加を認めるとどうなるか? (これまでより)一夫多妻傾向が増すと予想されるのだ。後ろ向きの予言だが、ここ数世代の実績からは間違いなく当たっているように思われる。

 同時に、ついつい最近の保守化現象・ポリコレ否定は、この観点で見ると単なる後退とかバックラッシュとは言い難いことがわかる。

 たとえばイーロン・マスクやトランプらは、個人の振る舞いとしては典型的な強♂であろうが、彼らの振る舞いが可能になったのはリベラル化故で、保守的主張は自己否定的にすら見える。

 ここは一見非常に反直感的でわかりにくいと思う。なぜ強♂の論理がリベラル化で弱♂の論理が保守化なのか? 逆じゃないのか? 違う。それは少し前に出たように、伝統宗教などの「保守的」とされる道徳は、基本的には石器時代から変わらない、言語によって生まれ体系化されたリバースドミナンスすなわち弱♂の論理だからだ。

 リバースドミナンスの世界では、シグナリングは厳しく掣肘される。自分の知性・強さ優秀さ・財産を誇示する強♂は、他の男性たちに警戒され、厳しい嫉妬・制裁・暗殺の対象になる。謙遜が半ば強制される。ドミナンスの世界ではその逆。強♂は皆激しくシグナリングし、弱♂を攻撃し、♀を惹きつけようとする。

 「♀を惹きつけようとする」というところがミソだ。この結果に繋がらないのなら、どんなシグナリングにも意味がないのだから。♀が望みうる最強の♂と配偶したいと思わなければ、思っても自分の都合通り行動できないのであれば、♂がアピールする意味もないのだ。これは表裏一体なのだ。

 つまり現代で激しく徳シグナリングする男性たちは、言っていること自体は、反差別等大変平等主義的な内容であるにしても、その内容自体は何でもよくて、この文脈ではドミナンスの論理、独裁的・暴力的・抑圧的な強♂の論理で優位を競い合っている。結果、昔ほど自慢や富のひけらかしが非難されない世界になっている。

 このドミナンスとリバースドミナンス、強♂の論理と弱♂の論理の綱引き・振り子を理解するならば、格差の拡大と民主主義の後退というかなり明白な危険が、伝統的性道徳の否定からかなり直接的に導かれることが予想される。

 今回一番重要なところなので再度要点をはっきりさせておこう。リバースドミナンスによる平等傾向は、あくまで男性の都合による協定だ。男性には男女の一夫多妻傾向を押さえようとする動機があるが、女性には(自分の夫以外の)男女の一夫多妻傾向を押さえつける動機はないのだ。

 だから女性の政治的権利が増して、女性が自分の本能通り自分の都合で性行動・配偶行動を選べるようになると、相対的に一夫多妻傾向が増して、(特に強者)男性にはドミナンス傾向(自己顕示・独裁・暴力・抑圧・徳シグナリング)に振る舞う動機になる。

 フェミニズムがワンステップ置いてほぼ直接的に独裁と暴力に繋がると言うと、無茶苦茶反直感的で挑発的に聞こえるだろうが、絶対にそうなる。

 一夫一婦制がほぼほぼ強制された状態から、女性に政治的経済的権利を与え、その本能通りに振る舞える状態にすると、強♂の論理、ドミナンス傾向が支配する世界になる。世界のリベラル化傾向が、同時に逆説的に独裁と暴力の揺り戻しを呼んでいる原理を理解する一助にはなろう。

 この強♂の論理・ドミナンス方向への揺り戻しが近い将来止まるとは思えない。むしろAI・コンピュータがロボットという身体を得て、筋力・物理力・武力をも知能と同等以上にブーストできるようになると、ますます加速するのではないかと思える。

 では、どこまで行ってどこで逆転するのか? 最初にリバースドミナンス傾向が勝利した理由はなんだったか? がヒントになりそう。その群のボス♂には不利でも、群の♂同士の不和が少ない方が、群同士の縄張り争いで有利だったからだ。

 2度目のリバースドミナンス傾向、民主主義はなぜ勝ったか? まだ異論はあろうが、端的には、王や皇帝の独裁に比べて、国全体の戦争や経済競争の効率がよかったからだろう。つまり国内の労働者や兵士(ほぼ男性)同士の結束が固く、国家間の競争・戦争に強かったからだ。

 3度目があるとすれば、大局的な傾向はやはり同じだと思う。強♂の論理は、要するに群の中での強♂から弱♂の抑圧・搾取だから、弱♂に群に貢献する意味がなくなり、群間競争には弱くなる。

 ありそうな再反転の未来のひとつは、ドミナンス傾向を強めた国は、内部のシグナリング合戦・内戦にうつつを抜かし、リバースドミナンス傾向、つまり伝統宗教的価値観や民主主義を維持した民族・国との競争、戦争あるいは人口再生産で敗れて消滅する。

 もうひとつは、AIロボットで暴力までブーストできるようになると、もう弱♂による逆転は不可能で、行くところまで行く。逆転はAIロボット自身が起こすというもの、AIはそう作りさえすれば、完全に自分の都合など無くして完全に協調的な行動も取れる。

 完全AI支配のそうした国(?)が、人間の男性ひとりが他の人間とAIロボットの全てを支配する国を倒すケース。こちらの場合は、ホモサピエンスとしての人類の歴史は、ドミナンスとリバースドミナンスの振り子・綱引きも、そこで終わりというとになる。現時点ではSFだが、前者よりありそうにも思える。

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