「真の知性には身体性が必要」的な言説は大昔からあるもので、最近AIに懐疑的な人達の間でまたよく言われるようになった。私も文字通りには概ね正しいと考える。
ただし、それは「人間は脳以外でも膨大な情報処理をしているということを人間は忘れがち」という以上でも以下でもないと思う。
おそらく普通の人が考える「真の知性」とは単に「人間と同じ知性」のことであろう。
たとえば人間の目は可視光以外の波長をカットしている。耳で感じる音も、鼻で感じる臭いも、肌で感じる圧力・暑さ・寒さも、どれも進化によって特有の情報処理をしている。それらが最終的に神経の信号となって脳に入力されている。
AIをどんな技術でどう作ろうが、入力の時点で全然違うのだから、処理と出力が同じになる訳がない。なったらそれは魔法だ。
そう考えれば「真の知性には身体性が必要」なのは、まったく自明の陳腐な事実であって、それは脳以外で行っている情報処理が何か特別であるということも、脳で行っているそれよりも難しいということも意味しない。
おそらく現在の情勢だと脳の模倣が先行することは確かだが、センサーやマニュピレーターの進歩と共に身体の制御の方もあっという間に追いついてくるのがほぼ確実に思える。
少なくとも、この言葉を「人間並みもしくは人間を超えるAIが永久に実現不可能である」かのような意味で使っている人は、細部をよく考えずに言っているだけではないかと思う。
(元ツイ:2025-02-12)
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