みんなお金は好きだと思うけど、普通はお金を使いたいことがあるからお金が好きなだけ。でも、社会での競争の勝者に、人生のKPIをほぼお金そのものの増加に振り切った人間がよく出現する。
そういう奴の性格は悪い。というか性格良い悪いとかそういう問題じゃない。そういう観点が存在しない。 https://t.co/UFpcmV6xDL— かわんご (@gweoipfsd) March 1, 2026
これを見て思ったことだが「人生のKPIがお金」というのは、その言葉から反射的に想像されるよりもおかしいことではないと思う。
進化環境では長期間保存できる財はなかった。たとえば狩りで一度に食べ切れない肉を得たら、それを長期保存する唯一の方は、群れの仲間に分け与えて、いずれ仲間の方が獲物を得た時返してもらう方法だった。
もちろん与える一方もらう一方の人間がいると成り立たないので、このような互恵関係を維持するために生まれた感覚が信用(≒貸し借りの感覚)であり、その信用を他人に譲渡することができるようにしたものが、現在最も有用と思われるマネーつまりお金の定義である。
これは人間だけに当てはまる話ではない。自然界に勤勉(人間的な意味)な動物が存在しないのもそのためだ。ほぼ唯一の例外が真社会性のアリ・シロアリ・ハチ等で、それはいくら働いても巣の中の蜜や花粉、女王や幼虫の栄養としてリソースを保存でき、それ以上は無駄になるという制約がないからだ。
現代の人間社会には信用以外にも長期間保存できるものが存在するとはいえ、本能的にも、青天井の努力を注ぎ込む意味があるもの、少なくともそれが制約条件になる事がないものを考えた時、それが信用すなわちお金だという結論になるのは、特に異常なこととは言えないと思う。
実態以上に異常に聞こえるとしたら、それはおそらく、徳シグナリングとして露骨に言うのは望ましくないという謙遜に基づくものか、お金ではカバーできない価値、たとえば健康や生命などを忘れないようにするための警告としてであろう。


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