電子世界への移行による実体経済との乖離は歪みなのか?

 五月さんのこれを読んだ。無茶苦茶素晴らしい記事で、やっぱり日本有数レベルですごい人なのがこれだけでもわかる。(今までそう思ってなかったという意味ではない。)

 これに対して、反論というわけではなく、同じことの別角度の解釈として、ひとつだけ思ったことを書く。

 利回りとGDP成長率の乖離と、インフレ(通貨の毀損)は、人類文明のフロンティアが原子世界から電子世界に移りつつあることの単なる現れで、必ずしも歪みとは限らないのではないかということだ。

 我々は当たり前のように「実体経済」というが、この場合の「実体」とはなにか? ビルやパンが実体だということに異論はないとしても、元記事にもあるようにAWSが止まったら一日も正常に過ごせはしないのに、それが実体でないというなら「実体」とはなんなのだ?

 ITハイテク企業がなくなって、昔みたいなペースでビルが増えたら、我々人類は嬉しいのか? 少なくともそれは絶対に違うだろう。だったら間違っているのは、利回りではなくGDPの定義の方なのでは?

 私はユヴァル・ノア・ハラリの「虚構」推しが、単に「物理から遠い」ことを、「悪である」とか「価値が低い」とかいうことと混同させるからよろしくないと主張しているのだが、その話とも少し似たところがあると思う。

 現在なんとなく「実体経済」と言われているものは、20世紀半ばまでフロンティアのあった「物理世界」に、おおむね一致する概念のように思われる。

 上記記事に詳しいので繰り返さないが、20世紀後半のフロンティアは物理世界の微細方向にあり、次に微細方向の発展で生まれた電子機器・コンピュータに、さらにそのコンピュータの上(中?)に築かれたソフト・IT・AIに移り変わってきた。

 要点をはっきりさせるために極端な例で考える。映画マトリックスのユートピア版のような未来が来るとする。

 AIとITのさらなる進歩で、物理的現実と同等以上のシミュレーション世界が作れる。人類はその中で、現実以上のありとあらゆることができるとする。

 現実世界では一人につきカプセル1個、なんなら水槽の脳1個しかいらなくなり、「実体経済」は明らかに成長しないどころか、むしろ壊滅的に縮小する。

 インフレはお札を荷車に積んでもパン一個も買えない(おそらくこの世で誰も作ってないから)ただの紙クズになるほど進むが、それは悪いことなのか?

 仮定でユートピアと決めといてそれはトートロジーだろ! と言われたら否定できないが、少なくともそれほど自明に悪いこととは言えないと思う。

 このマトリックス描像自体はもちろんSFであるが、今の世の中はそれが部分的に、あるいはモザイク的に、一部進んでいるあるいは始まっていると考えるべきなのでは?

 人間がビルやパン(に象徴される物理世界での厚生)にすでにある程度満足し、主として電子世界に構築されるそれ以上の満足(映画・ゲーム・コンテンツ・SNS・etc.)を求める限り、そうなるのは異常でも歪みでもなんでもなく必然なのではないか?

 元記事の五月さんがVRChatユーザーだということも、偶然にしても、少しは示唆するところがあるように思えてくる。

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