銃規制反対は一概には否定できない

 チャーリー・カーク暗殺のニュースに反応して銃規制についての話。

 アメリカの銃文化については、服部君射殺事件の時に結構興味を持って調べて、一概には否定できないという結論になった記憶がある。

 もちろん犯罪・自殺・事故で悲劇が起きるといえばまったくその通りなのだが、少なくとも日本人の多くがなんとなく考えているであろうような「アメリカの田舎者は暴力的で野蛮だなあ」というような単純な話ではまったくない。

 ここでそれほど複雑な議論に踏み込む気はないので、単純化して一言だけ言えば、仮に家庭にアメリカと同じ比率で銃があったら、今のロシア・中国・北朝鮮の体制は可能だろうか? ということだ。

 そしてドナルド・トランプがあれほどあらゆる遵法精神も倫理も持ち合わせていなくても、議事堂襲撃の扇動のようなことまで起こしても、結局最後の最後は暴力に訴えずに(一期目の)大統領を降りたのはなぜなのかということだ。

 仮に本音では無理矢理その椅子に居座りたいと思っていたとしても、国内の数億の銃口を全部躱し続けるのは無理だと、たとえ直感的にでも計算したからだと思う。少なくとも私がその立場でもそう計算する。

 もちろん銃を規制してちゃんと民主主義が成り立っている国もいくらもあるので、仮に歴史的経緯を無視して銃規制・許可をゼロから選べるなら、あまり迷わずに規制を選ぶが、それを言ったら何でもありだ。

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