『歎異抄』に学ぶパクリ投資の掟

 ここでパクリ投資の話をしていたら、なぜか『歎異抄』のこの部分が頭に浮かんできた。

念仏は、まことに浄土に生まるるたねにてやはんべるらん、また地獄に堕つる業にてやはんべるらん、総じてもって存知せざるなり。たとい法然聖人にすかされまいらせて、念仏して地獄に堕ちたりとも、さらに後悔すべからず候。
そのゆえは、自余の行を励みて仏になるべかりける身が、念仏を申して地獄にも堕ちて候わばこそ、「すかされたてまつりて」という後悔も候わめ。いずれの行も及び難き身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし。

 要するに、

  • 自分に判断できる力がないのだから損するのは当たり前だ
  • だからこの人に騙されて損しても後悔はしない

 という気になれるなら、パクリ投資もひとつの道として「あり」なのかなと。

 もっと縮めて一言にすれば「(パクリといえども)投資は自己責任で」ってことで。

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