国旗損壊罪の件で、ニーメラーの詩(「ナチが共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった」のアレ)を引いている人をTLで見かけた。もちろん、国家が思想表現の自由を規制しに来た最初の一歩を見逃すな、という趣旨である。
その人がそう言う気持ちは当然よくわかるが、自分の見え方は少し、というか、だいぶ違う。
自分はもう30年ぐらい、ポリコレと表現の自由の問題に関心を持ってきた。「人の心を傷つけてはいけない」 という命題は非常にヤバい、と言い続けてきた。あらゆる表現は誰かの心を傷つけるので、この命題を一度受け入れてしまえば、あとは 「誰の心を傷つけてはいけない心に認定するか」 という政治闘争しか残らないからだ。
実際この数十年、真面目な政治提言から単なるエロ画像まで、多くの表現が「誰かが傷つく」という理由で燃やされ降ろされ修正されてきた。そのたびに、傷ついたと主張する側に反対する者は、差別者ということにされ、表現の自由の側で声をあげる者は減っていった。
だから私には、今回の件は、ニーメラーで言うなら最初の段階ではなく、最後の段階に見える。「そして彼らが『一般国民の心を傷つけてはいけない』と主張したとき、表現の自由のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった」——の方だ。
誤解のないように言っておくと、だから国旗損壊罪に賛成だ、という話ではない。自分一人で決められるなら絶対作らないという意味で、大反対である。
ただ、ありとあらゆるポリコレの暴走が——流石に天井を打ったようには見えるとはいえ——いまだに猖獗を極めている現在の状況で、この件だけに反対するのは全くの無意味であるように思える。せいぜい、なるべく形式的なものに留まることを希望するしかないだろう。実際そうなると思うが。
ちなみに、以前「フリーライダー問題としての陰謀論」の記事で、自由な民主主義国で自国の国旗を焼く行為はまったくリスクがない割にタフに見える、コスパの良いシグナリングだと書いたが、この法律が通ればわずかながら本物のコストが付いて、シグナリング価値はむしろもっと上がるだろう。燃やしたい人にとっては朗報かもしれない。


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